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川野和彦さん

 

森と地域の調和を考える会 副代表

元県北農林事務所長

―森と地域の調和を考える会のメンバーになった理由は何ですか?

 

川野さん:私は県の職員だったから、それでちょうど退職した年だったんだわ。それで、今まで、どっちかっていうと、仕事中心

     だったから、今度は地域のことで何か取り組んでみたいなって思ってね。

 

 

 

 

―様々な取り組みの中で大切にしていることってありますか?

 

川野さん:地域振興って難しいんだけど、地域の人が、少しでもいいから、いきいきとしている状況が作り出せればいいかなって思

     うよね。うちの地域も捨てたもんじゃないかなって地域の人に思ってもらえるような状況を作り出せたらいいかなと。

 

 

 

 

―様々な活動によって地域で変わったことはありますか?

 

川野さん:一つは、森林所有者が山に興味を持ってくれるようになったっていうのはあるよね。あとは、普段行かないような地域の

     商店へ行くようになったことかな。高部舘についてなんかは、やっぱり、大したものなんだ。他の地域の人はいい

     ねって言うけどね、地元の人は思ってなかったんだ。だから、地元の素晴らしさの再発見ができたってのはあるかもしれ   

     ないね。

            ▶こちらは高部舘整備時の写真です。

 

 

 

 

 

―これから美和地域がどうなっていったらいいと思いますか?

 

川野さん:少子化人口減少がくるっていうのは、間違いないから、やっぱりこの地域に住んでいる人が活き活きと生活できるような

     仕組み作りが必要だろうし、一番いいのはここに住んでもらえる人が増えることだけどね。そのためには地域の魅力を発

     信していかなければならないね。だから、我々のやっている活動はその発信の一つになってるかもしれないな。

             ▶こちらは地域の魅力探索ツアー時の写真です。

 

 

―川野さんは美和地域の歴史にお詳しいと聞いたのですが、美和地域の歴史の観点から見る美和地域の魅力は何だと思いますか?

 

川野さん:国境ってのが魅力だよね。那須氏と佐竹氏の国境の地域だよね。だから、鎌倉、南北朝、室町、戦国時代のかなり鍔迫り

     合いの多かった地域だと思うよ。その中にあって、佐竹氏のもとにまとまって、ある程度他からの侵略にも耐え忍んで地

     域を維持してきたってところじゃないかな。

 

 

 

▶ここからは、川野さんの父、川野邦さんも加わっていただきお話を伺いました。

             ▶インタビュー時の写真です。(右)川野邦さん、(左)和彦さん

 

 

―美和地域の昔から今までの変遷を教えていただけますか?

 

川野さん:大正の頃は、ここらは稲、麦、和紙、タバコ、こんにゃくを作ってたね。大正、昭和にかけてはシイタケを作ってたね。

 

邦さん:これがその時のパンフレットで、山村自立、更生の魁っていって浜口内閣の頃の農村が疲弊したときにやったんだよね。そ

    んで、一つの産業として、シイタケを作ったんだよ。

        ▶こちらがその当時のシイタケに貼ったパンフレットです。保存状態が良くて、びっくりしました。

 

 

 

川野さん:シイタケはうち以外でもやっていて、今も残ってるんだよね。一番最初はうちが始めたんだよね。鷲子山のお土産として

     大々的にやったんだよね。その時も地方創生で、その一つの産業として乗り切ったね。

 

 

 

―戦後はどうなっていったんですか?

 

川野さん:そのあとは、東京とかが戦災にあったでしょ。だから、うちを建てなきゃならない。それで、うちを建てるには材木が必

     要だってなって、だから林業でこの辺は潤ったんだよ。その頃も、シイタケ、葉タバコ、こんにゃくは続いてたね。昭和

     30~40年代はそれでやっていけてたね。昭和50年代になってこれらの産業がみんな衰退傾向に陥ってきたな。

 

邦さん:一つの産業は、だいたい30年くらいしか続かないからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                   

 

 

                   ▶こちらが美和地区の特産品、原木シイタケです。おいしそうですね。

 

 

 

 

―その後から今にかけてはどうなっていったんですか?

 

川野さん:そのあとは、今まで続いているのは、林業とシイタケだけだね。それで、産業と共に人口も減っていったね。やっぱり産

     業が消えると、人も消える。だから、なんとか残っている林業とシイタケは続けていってほしいね。新たな産業とすれば

     観光業だよね。

 

邦さん:道の駅を中心として高部の尺丈山行ったり、鷲子山行ったりすればいいね。

 

川野さん:やっぱり、北斗星に出荷するものとしても、少量多品目生産で質のあるものが売りになっていくようにしないと回らない

     かもしれないな。だから、地域にあるものを活用していって、もっともっと活性化のアイデアを出していく。北斗星自体

     の夏と冬のイベントというのも面白いよね。

 

 

 

 

 

 

 

ー美和地域がどういう成り行きで林業やシイタケを栽培することになったのかを知ることができました。浜口内閣なんて高校の歴史

 で聞いた名前が実際の話の中で出てくるなんて驚きました。浜口内閣の頃も地方創生を行っていたんですね。このような美和の歴

 史を知っている方は、そんなにいないと思います。だから、美和地域の歴史を地域の方はもちろん、地域外の方にも深く知っても

 らいたいですね。

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