河西和文さん
森と地域の調和を考える会 会員
シイタケ生産者グループ
―なぜ森と地域の調和を考える会のメンバーになったんですか?
河西さん:きっかけは龍崎君からお誘いの書が来たんですよ。内容が、幕末の志士が何かやんなくちゃなんないっていうようなすご
い熱いもんだったの。これでは衰退の一途をたどるってね。ここに住んでると、気がつかなかったんだけど、やっぱり高
部の街を見てもどこもシャッター通りっていうようにこの地域も、かつてあった店がなくなったり、製材工場がなくなっ
ていくのと同じように、何もやらないでいると、どんどん衰退していくと思ったんだ。この地域って子供に「親の仕事継
げよな」って自信もって言えないような地域になりつつあったんだよね。木の駅プロジェクトをやったりって全て地域活
性化のための万能薬ってわけじゃないけど、先行ある悩みの一つでも解消できるかもしれないし、解消しようっていうや
る気を地域の人に、起こさせることになるなって思うようになったんだよね。
―河西さんは高部舘にお詳しいと聞いたんですが、高部舘の整備について教えてください。
河西さん:俺の中ではこの山に城があるっていうのを中学生の頃から聞いていたんだよね。それで、ある時、キノコ採りに山に登っ
たんだよね。そしたら、すごい堀があってそのあとの道がなくなってたんだよね。気味わりーなって思って帰ってちゃっ
たんだよね。帰りにも堀2つに出会ってね。それで聞いてみたら、そこが城山だよって言われて、今度は改めて城山見に
行ったんだよね。そしたら、あまりの広さにびっくりしたんだよ。
▶こちらの山が高部舘です。
河西さん:だからね、龍崎君に「こういう素晴らしい城山があるんだけど、これも活動の範疇に入りますか?」って聞いたら、いい
ですねっていうことになってやり始めたんだよね。みんなでやるから新しい発見があるんだよね。高部舘の整備はね、楽
しいんだよ。でっかいプラモデル作ってるみたいで。
▶こちらは、河西さんが作った高部舘の模型。河西さんの高部舘への情熱が伝わってきますね。
河西さん:最初はね、この組織が発足する前は、高部舘の整備したくても、一人じゃできなかったんだよ。それがさ、みんなで協力
して出来るようになったから、それは嬉しくてね。
▶インタビュー時の写真です。
河西さん:みんなが明日来るっていえば、今日のうちに準備したくなるしね。また、シイタケの栽培の仕事をしているから、山を掃
除する仕事は大好きなわけ。ましてや、人が歩けるようになって、褒められたりすると嬉しくて、気持ちがいいんだよ
ね。山城ってね、人がやったの?っていうくらいの土木工事量があるんだよね。機械もない時代にみんなで協力して作り
上げた熱量のあるものが蘇ると、最高なんだよね。
―河西さんは高部舘のことを熱心に話してくださって、高部舘の博士だと思います。またその話が佐竹氏のストーリーが分かってす
ごくおもしろいんですよ。河西さんは森と地域の調和を考える会の活動をするまでは模型なども作ったことがなかったらしいんで
す。だから、このような活動をすることによって住民の方が地域の宝を探求する機会にもなるんだなと思いました。